青山美智子さんによる小説『木曜日にはココアを』。12の物語で構成される、心温まる短編集だ。この物語で感じるのは、他人と自分の人生は実は地続きなのかもしれないーーそういう可能性である。
現代の若者は、“孤独”や“孤立”を抱えがちだという。そういった望まぬ“ひとり”に悩む人たちの心に、本作は静かにあかりを灯してくれるはずだ。
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木曜日にはココアを
毎週木曜日に同じ席でココアを頼む女性と彼女のことが気になるカフェ店員の話。色で例えるなら空色とか若草色とか……文章からふんわりと青春の匂いが漂ってくる。「ただ好きでいることがパワーをくれる、だから僕は僕に出来うる限りを尽くす。たとえば、木曜にはとびきり美味しいココアを彼女に捧げる」ココアをあげる、とは一見普通のことだけれど、この物語においてこれ以上の愛の注ぎ方はきっとないんだろうなあ。
きまじめな卵焼き
家事の苦手なママが子どものお弁当に入れる卵焼きを作るお話。この家庭ではママが働き、パパが主夫を担当している。繰り返し出てくる卵焼きは「家庭的な女性」を象徴しているのだと思う。ママは仕事で家を空けるパパの代わりに家事を担うことになるのだが、洗濯物も畳めない、ゴミも仕分けられない、ママ友と幼稚園の先生の名前も覚えられない。このときに作る卵焼きはぐちゃぐちゃである。でも夫の助言により、よく目にする卵焼きの形に近づいていく。卵焼きの形が整っていくごとに、彼女も自身が理想とするママへ近づいていく……そんな母としての成熟を感じる微笑ましい一作。
のびゆくわれら
ネイルをしたまま保育園に出勤してしまった先生の話。ネイルを注意される一方で、ある園児の爪噛みの癖を直すことにひと役かっていたネイル。なぜ園児が爪噛みをやめられたのかというと、先生の爪に憧れを持ったから。私も小さい頃爪噛みが全く治らなかったけれど、雑誌で見たネイルをやりたくて必死に伸ばしたなあ、と過去を思い出してしみじみ。従姉から先生、先生から園児へと憧れが受け継がれているのもよかったな。
聖者の直進
お互い独り身だったら一緒に暮らそうと約束した友達の理沙が結婚する。この話は最初理沙のことをあんまりよく思わずに読んでいたら、後半自分のあさはかさに痛い目みると思う(私がそうだった)。たとえば理沙がマラソン大会で一緒に走る約束を破って先にゴールしたのは、昔主人公との仲にいちゃもんつけて来た教師がいたから(お前といるとバカがうつると言われたので主人公に迷惑かけないよう離れてみせた)。見方一つでこんなに人への感情が変わるのか、と。
めぐりあい
シドニーの動物園で夫とはぐれた妻3日目の女性が、ある老夫婦と会話をする。主人公たちだけでなく、目の前のキリンや老夫婦も登場人物がみんな対になってるのが面白い。赤い糸とは、小指同士がただたよりない糸でつながれていることではなく、体をかけめぐる血を共鳴させることなのではないかーー。「運命の赤い糸」について新しい解釈をみせられたようでとても感慨深いのと、この夫婦、実は結婚式で誓ってなかったりする……?
半世紀ロマンス
めぐりあいででてきた老夫婦の馴れ初め話。妻がこちらに語りかけながら物語が進んでいく。印象に残ったセリフは「僕は格好よくなりますよ。歳をとった時に必ずロマンスグレーのいい男になりますから」。かっこよすぎませんか……。二人が一緒になったのは昭和の時代を感じるいきさつだけれど、決め手としては、いかにその相手と歳をとったときのことを容易に想像できるか。今も通ずる大事な指標だと思う。
カウントダウン
「緑」を描きにオーストラリアを訪れた主人公が不思議な男の子と出会う話。急に現れる謎の彼、読み進めると「緑」だったとわかるのだが、私はそれとは別に「抑圧された幼い頃の主人公自身」が映し出されているのではないかと思った。男の子と書かれながら、主人公は彼を20代後半くらいと推測する。でも、もっと下にも見えるしもっと上にも見える。なぜこんなにもまばらなのか。その理由らしきものは主人公の過去にあって、彼女は幼い頃、母の言うことが絶対だと思って育ってきた。緑ばかり描く主人公をどうして普通でいられないのと変人のレッテルをはられつづけてきた。子どもなのに大人のように自分を押さえ込むから、幼く見えるのに、ずっと大人のようにも見える。そういう精神的なもののあらわれでもあるし、その頃の自分との和解という意味もあるのでは。
ラルフさんの一番良き日
シャイなラルフさんの恋が成就するまでのお話。児童書や絵本のような空気感でほっこりした気持ちで読めた。好きな女性がわかるようオレンジ色がトレードマークのサンドイッチ屋を始めたり、ターコイズブルーが好きな理由が魔法がかけられそうだから、だったり。メルヘンさを醸し出しながらも、パキッとした色彩が心に残る物語だった。絵が浮かぶ文章とはこの物語のことだ。
帰ってきた魔女
幼少期から魔女になることを夢見ていた少女の人生譚。この小説は一つ前の短編に出てきたキャラクターが少しずつ次の物語に関わってくるつくりなのだけれど、『帰ってきた魔女』は『ラルフさんの一番良き日』の女性目線という感じ。魔女って今の時代では正直フィクションのように感じていたけれど、案外そうでもないみたいで。ファンタジーとリアルを上手く結びつけた一篇だなあと感じた。
あなたに出会わなければ
翻訳家の主人公の、ちょっとスピリチュアルを感じる人との繋がりの話。「グレイスと出会わなければ、私は翻訳家になっていなかったかもしれない」「Makoという文通相手にであわなければ私は生きていなかったかもしれない」彼女たちが口を揃えていう「あなたと出会わなければ」。前世と言われれば令和に生きる私たちは少し重く感じるかもしれないが、人は必ず誰かの人生に組み込まれているーーそんなどうしようもなく温かい繋がりが不思議と安心感をもたらしてくれる。
トリコロールの約束
10年前から文通が続くマコと主人公。ひとつ前の短編『あなたに出会わなければ』との縁を感じるお話。この二人はEメールというハイテクなものができてからも、ずっと手紙でやりとりをしている。海を超えてやってくる手紙は「マコ」そのものだからーー、と。文明にのってしまうとなんだか薄まってしまいそうな繋がりも、あえてのらないことで濃く保つ。これっていい意味ですぐに繋がれたり切れたりする現代人にとってとても大事なことなんじゃないだろうか、と考えさせられた。
恋文
ある女性が、カフェの店員さんへ恋文を書くお話。言わずもがな表題『木曜日にはココアを』の店員さんとお客さんの別視点のお話なのだけど、『木ココ』では二人が会話をするまで、『恋文』では女性がラブレターを完成させるまでしか描かれていない。この先はもちろんハッピーエンドしかないのだけれど、こうやって含みを持たせてくれたり想像かきたたせてくれる構造って、やっぱりいいな、と。実は恋ってみのるまでが楽しいというように、すごくいいとこどりした気分。
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最後まで読むと、なぜ目次の各タイトルのあとにカラーが書いてあるのか、なぜ表紙にあの人たちがいるのかが、全てわかるのも面白い。
ホットココア片手に、ゆったりとした気分で読みたい一冊。