村上春樹『パン屋再襲撃』を読んで

なぜ『パン屋襲撃』を手に取ったのかというと。あるレビューサイトで「"オズの魔法使いにでてくる竜巻のように空腹感が襲いかかってきた"という表現が素敵だった」との感想が書かれていたから。

なんとなく、自分の文章が同じような言い回しばかりな気がして。村上春樹のエキスを搾取しようと購入したのだ。

先にひとつハートを掴まれた言い回しを紹介すると、カップルが寝ているのを「まだ深海魚のようにぐっすりとねむりつづけていた 」と現したところ。深海魚がぐっすり寝るのかは知らないけれど、なんかわかる、と感じてしまう妙な納得感があるのが魅力だと思う。

前書きもそこそこに……。「パン屋再襲撃」含む六篇について書いていこう。

パン屋再襲撃

耐えがたい空腹を覚えた男が、昔やったパン屋襲撃の話を思い出す話。ワーグナーの序曲集を呪いと表現するのがオシャレだった。最初は探り探りだったけれど、今を解決するには昔の自分とのわだかまりにテコ入れすればいいのだと。しっかり読者を気づきまで導いてくれるのが優しい。

像の消滅

ある日忽然と消えてしまった像と飼育員に思いを馳せる男の話。像関連の記事スクラップするって相当変わった男。一週間もすれば記事が載らなくなって、人々は会社に、子供たちは受験勉強へーー。自分にとって重要なことは周りにはそうでないという物悲い描写にぐっときた。

ファミリー・アフェア

結婚を控えた妹と偏屈な兄の話。六篇の中で一番好き。男と妹の会話が重みをおびているけれど軽快で、スルスルと入ってくる。一番心に残ったのは「一族に一人くらいはああいうのがいても悪くない」って兄のセリフ。妹含め男も女も結婚前は不安になる生き物だけれど、このくらいの心持ちがいい家庭をつくるのかも。結婚前に思い出したい一篇。

双子と沈んだ大陸

主人公が自分の前から過ぎ去った双子を写真で見かける。写真に写る双子と男の描写がこれでもかというくらい丁寧で、三者を思い浮かべるのが容易だった。男は離れていった双子、戻らない双子に喪失感と閉塞感を抱えていて、それが文章からしみじみと伝わってくるのがいい。

ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーポーランド侵入・そして強風世界

主人公が風についてぼんやりと考えを巡らせるお話。タイトル「ローマ帝国の崩壊」などの史実は全部日記を書くためのメモで、日常を思い出す比喩なのがインパクトあるな、と。他と比べて短いので読みやすい。

ねじまき鳥と火曜日の女たち

情景描写が細かくて、生活感をありありと感じ取れる。その中で出会う女たちが、なんだかポツンと謎に満ちていて不気味。話す内容が色っぽく、生々しく、そしてときに批判を伴うものできっと表に出せない。男が火曜日に知らない女と話した話であり、男が妻の“死角”に気付けなかった物語でもある。

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やっぱり比喩が素敵だった。この小説に出てくる男性たちは、どこかに情熱を忘れてきたような男ばかりだったような気がする。でもそれは、あるものによってバランスが崩されたからで(パン屋襲撃の失敗だったり双子の存在だったり)。そんな男の一面を眺めているのがすごく楽しかった。