千早茜『正しい女たち』を読んだ

短編小説を読んでいると、物語ごとにあらゆる人間が出てくる。小説を介して彼女たちの生活を覗くと、本当に人生とは、生き方とは、人の数だけあるのだなあということを思い知らされる。

そのひとつひとつに心を揺らされて、背中を押されて、突き動かされて。だからこんなにも小説は面白いのだ、と至極当たり前なことを考えた。

『正しい女たち』では“正しい姿”をモチーフに、6つの物語が生み出されている。偏見やセックス、結婚、プライド、老いなど、なぜか表には出しにくいけれど、確かにそこにある女たちの譲れないものが鮮やかに描かれている作品だ。

温室の友情

中学からの友人を不倫沼から助け出す話。遼子は昔から母のことが気に入らなかった。それは、自分のやること全てが遼子のためになると信じて疑わないようだったから。でも遼子も結局、恵奈のためになると彼女を不倫から救い、母と同じような道を辿る。物語は女性特有の“友達同士でなんでも話す”感覚から展開されていくのだけれど、この話に出てくる男性たちは本音を話す女を怖がる。それが面白くて、女の正しさ(友達関係を保つためのルール)って男性からみると異常なのかな、と。

海辺の先生

女子高生の美優が、スナックのお客である先生に勉強を教えてもらう。出会いって、必要な時に必要なものが訪れるんだなと思えた話。私はこの先生に圧倒的萌えを感じた。二人の出会いが場末のスナック(美優の実家)ってのもいいし、先生の人柄が古風で、「もう暗いので送ります」なんて言っちゃうのよ……。脱力系イケオジの姿が目に浮かぶわ。結局先生とは引っ越しを機に疎遠になっちゃうっぽいけれど、人生を変える方法を教えてくれた先生はコレからもきっとずっと特別な存在なのだろう。

偽物のセックス

妻子持ちの男が508号室の人妻に惹かれていく。この話は男女の会話がいい意味でも悪い意味でも本当に生々しくて心が揺さぶられた。男は正しくないセックスを求めつつ、女の言うするべき相手同士で求め合う正しいセックスがしたかったのだろう。そのことに犯罪まがいの行為をして初めて気づくのが欲の恐ろしさだし、男の愚かさ。 一番可哀想なのは、何も知らない妻だ。

幸福な離婚

主人公はマリッジブルーならぬ“ディボースブルー”で、夫婦が離婚するまでの日々を描いた物語。タイトルがすごく今の時代っぽい。一杯分を二人で分け合って、少し薄くなった味噌汁を向かい合ってすするなんてこれ以上ない幸せの描写だと思った。リミットがあるとその大切さに気づくし、名残惜しくもなるし、今を大事に過ごそうする。だからこそ幸福な離婚が成立するのであって、皮肉な話だなあ、と。

桃のプライド

芸能界にいる環のべったりこびりついたプライドと劣等感の話。会ってあげていた歯科医の男にも用済みのように扱われたり、放送作家の元カレにコンパニオン代わりにされたり。漂う潮時感と、それを受け入れられない環の自尊心がつらい。環は頑張りどころがズレていただけなんだよね……。堅実に積み重ねていった恵美や遼子が正しいわけじゃないけど、2人と比べたとき、環には自分の過ごしてきた時間が不正解なものだと感じたんだろうな。これって芸能界にいる環だけじゃなくて、すごく女性や男性にとっても普遍的な感情だと思う。

描かれた若さ

結婚しようとしていた女に、婚約指輪の代わりに肖像画が欲しいと言われる。繊細な筆致で描かれた男の顔はめちゃくちゃ老けていた。男はそこではじめて自分の老いを知る。今まで女性をババアだの、賞味期限切れだの言っていた男がはじめて自分のリアルを目の当たりにするのだ。老いって自分の価値がまるですり減っていくようですごく怖い。現実を生きる女たちから男への復讐のようにも感じたし、また、己は目を逸らしていないか?と。今までそっと眠らせていた深いところをえぐり起こされた気分……。

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この作品の面白さは、ひとつひとつの物語はもちろんのこと、すべての物語が少しずつ交わっているところにある。この物語のように、私たち女の譲れない正しさは、きっとどこかで繋がっているーーそんな一体感や連帯感を抱かされた一冊だった。

奥田英朗『イン・ザ・プール』を読んだ

 小説初心者に作品をおすすめするなら、きっと『イン・ザ・プール』を最初に勧めると思う。語彙力がなくて申し訳ないのだけれど、それくらい本当に面白い。面白いと同時に、すごく肩の力が抜ける本でもある。

お気楽人間な精神科医・伊良部の奇行に付き合っているうちに、患者はあれよあれよと大きな気づきにたどり着く。それは読者も一緒で、この病(病かどうかはビミョーだが)にはこんな結末があっていいのだと目からウロコがボロボロ落ち、すごくホッともする。

本当に本当に回収が見事で、3篇目くらいまで読むと伊良部のファンになっているはず。ちなみに彼の風貌は色白で太っている、と説明されているのだが、私の脳内では『ブラック・ジャック』の「おとうと」にでてくるこのおとうと社長で再生されている。

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各篇の感想は以下へ。

イン・ザ・プール

泳がなければ身体に異常が出てくる依存症患者のお話。こうまとめると暗く聞こえるが、注射フェチの医者だったり露出狂疑惑の看護師だったり変人揃いでタッチは軽い。依存症の話にこれ以上マッチするタイトルはないと個人的に思ってる。さらーっと読んでたけれど、そういえばプール依存になる前に体調不良で病院きてじゃん……と気づいたときにはハァー!!となった。次は夫婦の営みが対象となるのだろうか。恐ろしや。

勃ちっ放し

アレが勃ちっぱなしになる患者の話。勃ったままという事態は深刻なのに、親の心配をよそにムスコはーーと、ブラックみを含んだジョークが飛ぶのが楽しい。性器が象徴しているものはなんなのか?それは解き放たれない理性であり、プライドだったのでは。感情を爆発させれば治るんだろうなあとは考えていたけれど、そうではなくてそうすれば治ると思い込んでたから治ったまで。プラシーボ効果と一緒だった、というのが物凄くいい意味で拍子抜けした。狐につままれたような感覚。

コンパニオン

コンパニオンの広美がストーカーに悩まされる話。ストーカーは被害妄想で、じんわりと広美の方に問題があるのだとわかってくる。女の努力を鎧と表現してくれたことで、心がスッとなった人はたくさんいるんじゃないかな。この話は、最後の広美と伊良部の会話がとくに好きで。「ところで僕は広美ちゃんのショートヘアも好きなんだけどね」と、ちゃめっ気たっぷりに広美を肯定してくれる伊良部がとてもよかった。たぶん今回の伊良部の治療を真似たらとてもモテると思う。

フレンズ

患者の雄太は携帯がないと手が痙攣してくる。携帯中毒と一言で言っても、その根っこは案外別のところにあるのだなあ、と。自分も根暗がバレるのが嫌だったり、友達が少ないのが恥ずかしかったり、携帯を肌身離さず持っていないと不安だったな、とか。そういう無理していた時を思い出したし、何年も前のことなのに読みながら胸をチクチクさせられた。今のネット時代の若者なら、10人中4〜5人は経験ありそう。最後のクリスマスイブのセクションがすごく感動するから読んでほしい……。

いてもたっても

家が火事になるかもしれない、と気になってしょうがない患者の話。他の4篇とは毛色が違うような感じがして、思わぬところに連れて行ってもらった!という感覚。強迫神経症と患者が自分で診断してたが、この人はすごく想像力が豊かなんだなあ、という印象を持った。伊良部に感化されている気がする。結局はその性格と折り合いをつけた、という終わり方だったけれど。治らないなら、その悩みにポジティブな意味をつけたっていいじゃないか。そんな新たな視点をもらえた気がする。

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伊良部シリーズを読むなら『空中ブランコ』『町長選挙』『コメンテーター』も。沼にハマること間違いなしです。

辻村深月『鍵のない夢を見る』を読んで

たとえば、それまでいい妻だったのに、急にとんでもない悪女ということが発覚したり。あるいは、これまで可哀想な女生徒だと思っていたのに、実は順風満帆な人生を送る勝ち組だということがわかったり。こんな感じで(上記のような内容ではないのだけれど)今まで信じていた物語が、急に牙を剥くように別の顔を見せる。そういう感覚を、辻村深月の『鍵のない夢を見る』に覚えた。

この感覚が大好きだった。読んだ後は、一瞬時が止まる。それからしばらく余韻に浸り、どういうことだったかまたなぞりたくなる。本書には、そんな夢現、けれど確かな女のリアルさを丁寧に紡いだ五篇が詰まっている。

仁志野町の泥棒

引っ越してきた友達の母親が泥棒だった話。親の尻拭いをさせられる可哀想な娘の律子。そんな印象が出来上がってからの、彼女の手から星形の消しゴムがこぼれ落ちたときの衝撃。律子の人物像が転々としていくのが、まるで手のひらで転がされているような感覚だった。悪いことをした方じゃなく、泥棒を目撃したミチルの方が今も生きづらさを抱えているのがなんとも言えない虚無感に包まれる。

石蕗南地区の放火

実家の目の前で起きた不審火をきっかけに、昔の何もなかった男と再会する。男版・八百屋お七(恋人に会いたいがため放火事件を起こす話)のような展開をベースに、結婚から遠い場所にいる笙子の自惚れや傲慢さ、自尊心がビビットかつつぶさに描かれている。たぶん、笙子に共感する人は少なからず独身なのではと思ってしまう。

美弥谷団地の逃亡者

彼氏と海へ行く話。なんの変哲もないカップルの関係性が、読み進めていくうちにくるりとその姿を変えるのに驚く。主人公の美衣が遺恨を抱くキョンシーごっこの栄美と、とんかつ屋にひとりだけ受かった敦子。今でも二人より先にすごい世界を知りたくて、出し抜きたくて。だから彼氏と一緒にいたし、彼女の転落話を語るには小学校まで遡らなければならないのだな、と。

芹葉大学の夢と殺人

かつて同じ大学のゼミ生だった恋人の雄大が、教授の坂下を殺してしまう。夢というものは美しく書かれがちなテーマだけれど、ここでは麻薬のように人生を侵食するものとして映っているのが新鮮。美玖の最後のセリフ「あなたが私を殺すんだから」。私には「私があなたを殺すんだから」に聞こえて少し震えた。

君本家の誘拐

ショッピングモールに出かけた良枝は、娘の咲良を乗せたベビーカーが消えたことに気づく。子どもができない辛さ、育休のタイミング、生まれてからの身を削るような献身など、女性が感じる圧迫感がまっすぐ伝わってくるお話。結婚も出産も育児も、結局は孤独が付き纏うものなのだろう。

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スラスラと読んでいるとふと、意表をつかれてしまう『鍵のない夢を見る』。五篇で描かれた地方の女たちは、みんな滑稽だけれど、どこか愛おしかった。

 

村上春樹『パン屋再襲撃』を読んで

なぜ『パン屋襲撃』を手に取ったのかというと。あるレビューサイトで「"オズの魔法使いにでてくる竜巻のように空腹感が襲いかかってきた"という表現が素敵だった」との感想が書かれていたから。

なんとなく、自分の文章が同じような言い回しばかりな気がして。村上春樹のエキスを搾取しようと購入したのだ。

先にひとつハートを掴まれた言い回しを紹介すると、カップルが寝ているのを「まだ深海魚のようにぐっすりとねむりつづけていた 」と現したところ。深海魚がぐっすり寝るのかは知らないけれど、なんかわかる、と感じてしまう妙な納得感があるのが魅力だと思う。

前書きもそこそこに……。「パン屋再襲撃」含む六篇について書いていこう。

パン屋再襲撃

耐えがたい空腹を覚えた男が、昔やったパン屋襲撃の話を思い出す話。ワーグナーの序曲集を呪いと表現するのがオシャレだった。最初は探り探りだったけれど、今を解決するには昔の自分とのわだかまりにテコ入れすればいいのだと。しっかり読者を気づきまで導いてくれるのが優しい。

像の消滅

ある日忽然と消えてしまった像と飼育員に思いを馳せる男の話。像関連の記事スクラップするって相当変わった男。一週間もすれば記事が載らなくなって、人々は会社に、子供たちは受験勉強へーー。自分にとって重要なことは周りにはそうでないという物悲い描写にぐっときた。

ファミリー・アフェア

結婚を控えた妹と偏屈な兄の話。六篇の中で一番好き。男と妹の会話が重みをおびているけれど軽快で、スルスルと入ってくる。一番心に残ったのは「一族に一人くらいはああいうのがいても悪くない」って兄のセリフ。妹含め男も女も結婚前は不安になる生き物だけれど、このくらいの心持ちがいい家庭をつくるのかも。結婚前に思い出したい一篇。

双子と沈んだ大陸

主人公が自分の前から過ぎ去った双子を写真で見かける。写真に写る双子と男の描写がこれでもかというくらい丁寧で、三者を思い浮かべるのが容易だった。男は離れていった双子、戻らない双子に喪失感と閉塞感を抱えていて、それが文章からしみじみと伝わってくるのがいい。

ローマ帝国の崩壊・一八八一年のインディアン蜂起・ヒットラーポーランド侵入・そして強風世界

主人公が風についてぼんやりと考えを巡らせるお話。タイトル「ローマ帝国の崩壊」などの史実は全部日記を書くためのメモで、日常を思い出す比喩なのがインパクトあるな、と。他と比べて短いので読みやすい。

ねじまき鳥と火曜日の女たち

情景描写が細かくて、生活感をありありと感じ取れる。その中で出会う女たちが、なんだかポツンと謎に満ちていて不気味。話す内容が色っぽく、生々しく、そしてときに批判を伴うものできっと表に出せない。男が火曜日に知らない女と話した話であり、男が妻の“死角”に気付けなかった物語でもある。

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やっぱり比喩が素敵だった。この小説に出てくる男性たちは、どこかに情熱を忘れてきたような男ばかりだったような気がする。でもそれは、あるものによってバランスが崩されたからで(パン屋襲撃の失敗だったり双子の存在だったり)。そんな男の一面を眺めているのがすごく楽しかった。