奥田英朗『イン・ザ・プール』を読んだ

 小説初心者に作品をおすすめするなら、きっと『イン・ザ・プール』を最初に勧めると思う。語彙力がなくて申し訳ないのだけれど、それくらい本当に面白い。面白いと同時に、すごく肩の力が抜ける本でもある。

お気楽人間な精神科医・伊良部の奇行に付き合っているうちに、患者はあれよあれよと大きな気づきにたどり着く。それは読者も一緒で、この病(病かどうかはビミョーだが)にはこんな結末があっていいのだと目からウロコがボロボロ落ち、すごくホッともする。

本当に本当に回収が見事で、3篇目くらいまで読むと伊良部のファンになっているはず。ちなみに彼の風貌は色白で太っている、と説明されているのだが、私の脳内では『ブラック・ジャック』の「おとうと」にでてくるこのおとうと社長で再生されている。

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各篇の感想は以下へ。

イン・ザ・プール

泳がなければ身体に異常が出てくる依存症患者のお話。こうまとめると暗く聞こえるが、注射フェチの医者だったり露出狂疑惑の看護師だったり変人揃いでタッチは軽い。依存症の話にこれ以上マッチするタイトルはないと個人的に思ってる。さらーっと読んでたけれど、そういえばプール依存になる前に体調不良で病院きてじゃん……と気づいたときにはハァー!!となった。次は夫婦の営みが対象となるのだろうか。恐ろしや。

勃ちっ放し

アレが勃ちっぱなしになる患者の話。勃ったままという事態は深刻なのに、親の心配をよそにムスコはーーと、ブラックみを含んだジョークが飛ぶのが楽しい。性器が象徴しているものはなんなのか?それは解き放たれない理性であり、プライドだったのでは。感情を爆発させれば治るんだろうなあとは考えていたけれど、そうではなくてそうすれば治ると思い込んでたから治ったまで。プラシーボ効果と一緒だった、というのが物凄くいい意味で拍子抜けした。狐につままれたような感覚。

コンパニオン

コンパニオンの広美がストーカーに悩まされる話。ストーカーは被害妄想で、じんわりと広美の方に問題があるのだとわかってくる。女の努力を鎧と表現してくれたことで、心がスッとなった人はたくさんいるんじゃないかな。この話は、最後の広美と伊良部の会話がとくに好きで。「ところで僕は広美ちゃんのショートヘアも好きなんだけどね」と、ちゃめっ気たっぷりに広美を肯定してくれる伊良部がとてもよかった。たぶん今回の伊良部の治療を真似たらとてもモテると思う。

フレンズ

患者の雄太は携帯がないと手が痙攣してくる。携帯中毒と一言で言っても、その根っこは案外別のところにあるのだなあ、と。自分も根暗がバレるのが嫌だったり、友達が少ないのが恥ずかしかったり、携帯を肌身離さず持っていないと不安だったな、とか。そういう無理していた時を思い出したし、何年も前のことなのに読みながら胸をチクチクさせられた。今のネット時代の若者なら、10人中4〜5人は経験ありそう。最後のクリスマスイブのセクションがすごく感動するから読んでほしい……。

いてもたっても

家が火事になるかもしれない、と気になってしょうがない患者の話。他の4篇とは毛色が違うような感じがして、思わぬところに連れて行ってもらった!という感覚。強迫神経症と患者が自分で診断してたが、この人はすごく想像力が豊かなんだなあ、という印象を持った。伊良部に感化されている気がする。結局はその性格と折り合いをつけた、という終わり方だったけれど。治らないなら、その悩みにポジティブな意味をつけたっていいじゃないか。そんな新たな視点をもらえた気がする。

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伊良部シリーズを読むなら『空中ブランコ』『町長選挙』『コメンテーター』も。沼にハマること間違いなしです。