『告白 コンフェッション 』で罪悪感の成れの果てをみた

福本伸行先生とかわぐちかいじ先生の共作が実写化。タイトル『告白 コンフェッション 』は、ある告白を言ってしまった男と聞いてしまった男の攻防を描いた物語である。本作は、主演の生田斗真とヤン・イクチュンのほぼ二人芝居で成り立っている。舞台は雪山にたたずむ山小屋。このごくミニマムな世界観が二人の置かれた状況の異様さを引き立たせている。

ことの始まりは、浅井(生田斗真)とジヨン(ヤン・イクチュン)が雪山で遭難したことだった。怪我をしていたジヨンは死を覚悟して、告白をし始める。「ーーさゆりを殺したのは俺なんだ」と。その直後に山小屋を見つけ、助かってしまう二人。告白したやつが悪いのか、聞いたやつが悪いのか、疑心暗鬼を積み重ねる一夜のサバイバルが描かれる。

改変とモノローグ

原作は『賭博黙示録カイジ』『アカギ〜闇に降り立った天才〜』などを代表作に持つ福本伸行先生が担当している。福本先生は両作品でもわかるとおり心理戦を巧みに描くことに長けている。だからか、モノローグがとても多い。本映画の原作漫画でもモノローグが多くて、福本先生の原作だなあ、と思いながら読んでいた。

そんな内なる独白の部分に工夫が感じられたのが、ジヨンの設定である。原作では石倉という日本人だが、映画では韓国からの留学生となっているのだ。ジヨンは基本日本語をしゃべる。そして、ときどき韓国語も話す(字幕であらわされている)。おそらく生田演じる浅井は韓国語の意味を理解できていなくて、韓国語でしゃべったことに対して返事をしない。それはまるで心の声が聞こえないのと同じようで、韓国語がジヨンだけのモノローグとしてうまく機能しているのが面白い。

『告白 コンフェッション 』が描く罪悪感の先にあるもの

ジヨンの話が続くが、彼はさゆりを殺したと告白した後、こんなことを言っている。

「やっと息ができた」(ごめんなさい、うろ覚えです)

ジヨンはさゆりを殺したこと、浅井にそれを言わなかったことを後悔していた。自責の念に苦しみ、ずっとずっと息を詰まらせていた。つまり、本作は告白、そして罪悪感から始まる話なのである。罪悪感から動き出す話は多種存在していて、たとえば『鬼滅の刃』も罪悪感を経由しながら己を強くし、鬼と闘っていく物語である。では、本作の罪悪感の先にあるものは何か?罪悪感がネガティブな要素をもつせいか、その先は「再生」や「治癒」「成長」などポジティブなものを思い浮かべるだろう。だが、本作の罪悪感の先にあったのは、「狂気」である。

どんな狂気なのかはぜひ映画をみて確かめてほしいのだが、主演二人の怪演が掛け合わさって本当に恐ろしい映像になっている。新たな極限をみせられた作品だった。